電池と蓄電池の歴史は以外と古い? 静電気から始まってリチウムイオン電池が発明されるまで!

科学史上の最初の電池は1800年にボルタが発明した電池ですが、世界最古の電池は今から約2000年前に製造されたといわれるホイヤットラブヤ遺跡(イラクの首都バグダッド郊外)から発掘された「つぼ型電池」とされています。1780年、イタリアの生物学者ガルバーニが、カエルの足の神経に2種類の金属を触れさせると電流が流れ、足の筋肉がピクピク動くことを発見しました。これが電池の原理の始まりといわれています。蓄電池(二次電池)の歴史も古く、日本でいえば江戸時代には最初の蓄電池が発明されていました。
今回は蓄電池の歴史について解説します。

電池の歴史

電池とは、電気を貯めて使いたいという情熱の元にできたのではないでしょうか。
ボルタ電池が発明されるまで、電気とは静電気のことを指していました。
紀元前600年前、ギリシャのタレスが琥珀を擦るとモノを引き付ける現象を発見しました。これが電気の発見です。電気は英語でエレクトリシティといい、ギリシャ語の琥珀(エレクトロン)が語源といわれています。

その後16世紀になり、イギリスのギルバートが琥珀以外でも静電気を起こすことができることを発見しました。1733年にはフランスのデュ・フェが電気のプラス極とマイナス極を発見。1800年にイタリア人のボルタによってボルタ電池が誕生し、ようやく電気学の基礎がつくられました。

銅と亜鉛を電解液となる希硫酸や食塩水などに入れると、銅は原子がほとんど溶けず反対に亜鉛は原子が溶け出して電子が出ます。 そのため銅は(+)極に亜鉛は(-)極となり、この2つを導線でつなぐと銅から亜鉛に電気が流れます。これが現在の化学電池の原型、ボルタ電池です。

1831年になると、ファラデーがコイルを使って電磁誘導を発見。電池がなくても電流が流れることが判明し、発電機や電信の研究に繋がりました。

1855年にはドイツのプリュッカーとガイスラーは真空中を電気が伝わることを発見し、この真空放電の研究からX線の発見へと繋がっていきました。

1868年、フランス人のルクランシェが「ルクランシェ電池」を発明しました。これは現在の乾電池の母体となるものでしたが、塩化アンモニウム溶液がこぼれたりして使いづらい面がありました。 ボルタ電池で使われていた液体をゲル状にしたものが、現在の乾電池の原形となった「ルクランシェ電池」です。

1888年、ドイツ人ガスナーにより、液がこぼれない電池が発明されました。水分はあってもこぼれないことから、ガスナーの発明は「乾いた電池」(乾電池)と呼ばれました。その3年前の1885年、日本人の屋井先蔵(やい さきぞう)も独自に乾電池を作っています。

電池の歴史はこのように流れていきましたが、電気を貯めて使うという方法は中々発見されず、1746年になってようやく世界初の蓄電池が発明されました。

蓄電池の歴史

蓄電池の歴史は以下の通りです。

世界初の蓄電池「ライデン瓶」の発明

1746年、オランダのミュッセンブルークが「ライデン瓶」と呼ばれる世界初の蓄電器を発明しました。オランダのライデン大学で発明されたため「ライデン瓶」と呼ばれています。ライデン瓶は、日本の平賀源内のエレキテルにも使用されています。

ライデン瓶はガラス製で、下3分の1に内側・外側とも錫(すず)が貼られています。中央に吊された玉は内側の錫近くまで伸びており、瓶から出た棒を発電器に付けると、内側の錫に帯電します。(内側が+、外側が −)

帯電後、人間が棒の先に触れると、ものすごく強い静電気が流れます。開発したミュッセンブルークも実験中にこの部分に触ってしまい、腕、肩、胸に意識を失うほどの衝撃を感じ、丸2日間、痛みが残ったと記録が残っています。瓶を連結した蓄電槽に至っては、死ぬほどの衝撃があったそうです。

鉛蓄電池の発明

1859年、フランス人のガストン・プランテが世界最初の二次電池として「鉛蓄電池」を発明しました。プランテの発明した電池は2枚の薄い鉛板の間に2本のテープ(ゴム帯)を挟んで円筒形に巻き込み、希硫酸を充填したものでした。
1881年、カミーユ・アルフォンス・フォーレが、酸化鉛の粉末を硫酸で練ってペーストにした物をプレスして加熱することでスポンジ鉛のプレートを製造する方法を発明しました。この発明により電池の容量は大幅に増加しただけでなく、大量生産に向いており、現在の鉛電池はこの技術を基本としています。

鉛蓄電池とは、電極に鉛の板を使用しており、希硫酸と鉛の化学反応によって電圧を発生させる仕組みの二次電池です。
電極の材料である鉛は金属の中でも比較的安価な部類ですので、鉛蓄電池は安く作ることができます。プランテの電池を基にし、様々な改良が加えられて1900年頃に実用化されました。短時間で大電流を放電させたり、長時間で緩やかな放電を行ったりしても比較的安定した性能を持ちます。他の二次電池と異なり、放電し切らない状態で再充電を行ってもメモリー効果は表れません。
メモリー効果とは、充電された電力を使い切る前に浅い充電を繰り返すことで電池の最大蓄電容量が小さくなることです。

一方、他の蓄電池に比べて大型・大重量タイプであり、希硫酸を使うために漏洩(ろうえい)や破損時に危険が伴います。過放電によりサルフェーション(白色硫酸鉛化)と呼ばれる現象が生じて容量が低下します。充電量の低下に伴って電解液の濃度が低下、凝固点が上がるため、極寒地では電解液が凍結しやすくなり、凍結時の膨張によりケースが破損する場合もあります。そのため、こまめに充電して過放電を避けたほうがより長く機能を維持できます。空になるまで放電させる用途のために電極を改良したディープサイクルバッテリーも存在します。

ニカド電池の発明

1899年、スウェーデンのウォルデマール・ユングナーがニカド蓄電池(ニッケル・カドミウム蓄電池)を発明しました。ユングナーの発明を基にして、電池の完全密閉化の改良がなされ、1950年頃に実用化されました。
ニカド蓄電池は、電極の正極に水酸化ニッケル、負極にカドミウムを使用し、電解液には水酸化カリウム水溶液を使用しています。
内部抵抗が小さいため大電流の放電が可能であり、モーターなどに向いています。自然放電が大きいので消費電力が小さく、長時間稼働を前提とした時計などの機器には不向きです。
また、ニカド蓄電池に使用されているカドミウムは「イタイイタイ病」の原因となる有害物質であり、廃棄時の環境への配慮が問題視されています。

ニッケル鉄電池の発明

1901年、アメリカのトーマス・エジソンはNi-Feの特許と商業化を行い、Detroit ElectricやBaker Electricなどの電気自動車のエネルギー源としてニッケル鉄電池を発明、提供しました。ニッケル鉄電池は「エジソン電池」と呼ばれ、当時使われていた鉛蓄電池よりもはるかに高いエネルギー密度があり、半分の時間で充電することができましたが、低温では性能が低く高価でした。エジソンは1900年代初頭に好まれた輸送方式であったガソリンや蒸気に次ぐ電気輸送のための電池としてこの電池を開発しました。しかし、内燃機関の始動に採用されず、また、電池が導入されてからわずか数年後に電気自動車は生産中止になりました。
エジソン電池は鉄道信号、フォークリフト、待機電力アプリケーションに広く使われていました。

ニッケル水素電池の発明

ニカド蓄電池に対して、別の素材で安全性を確保したのがニッケル水素電池です。

開発は1970年代のコムサットから始まり、最初の使用は1977年、アメリカ海軍の航法衛星 (NTS-2) です。元々は、高出力、高容量、長寿命の人工衛星のバッテリーとして開発が進められていました。

ニカド蓄電池と比較して蓄電容量が多く、有害物質を含まないためニカド蓄電池よりも広く普及されましたが、ニカド蓄電池と同じく自然放電が大きく、寿命が短いというデメリットがあります。

リチウムイオン電池の発明

リチウムイオン電池は、1958年のハリスの有機電解質に関する論文が注目され、アメリカが実用化に向けた研究開発を始めました。アメリカでは主に宇宙航空・軍事用に、日本では民生用に開発され、1970年代前半に実用化されました。
1991年、ソニー・エナジー・テックは世界で初めてリチウムイオン電池を商品化しました。

リチウムイオン電池は、リチウムイオンが電極の間を移動することで充電・放電を行う仕組みとなっています。
現在、リチウムイオン電池はさまざまな電子機器・電気機器に使用されており、1兆円を超える市場規模を形成しています。

リチウムイオン電池は小型であり、かつ蓄電容量が多く、さまざまな電子・電気機器の小型化に貢献しています。

また、ニッケル水素電池の寿命は約6~7年、寿命に近づくほど最大充電量が減少していき、メモリー効果があります。そのため、使い切ってから充電をするという方法が取られています。
一方、リチウムイオン電池は10年以上の寿命があり、メモリー効果がありません。そのため、電池残量が残っている状態で追加充電をしても蓄電容量に大きな影響を及ぼすことがなく、使い勝手の良い充電方法を実践できます。

日本の蓄電池の歴史

日本では1895年に島津製作所の2代目島津源蔵が初めて蓄電池の試作に成功しました。この蓄電池は島津源蔵の頭文字を付けて「GS蓄電池」と命名され、日露戦争で海軍の無線機に使われました。日本海海戦の勝利はこの蓄電池のおかげだと言われています。

第一次世界大戦が始まるとドイツからの蓄電池輸入が途絶え、1917年に島津製作所の蓄電池工場は独立し、日本電池になりました。日本電池は後にユアサと合併し、現在は自動車用の鉛蓄電池で国内トップシェアを誇るGSユアサになっています。

まとめ

今回は蓄電池と歴史について解説しました。以下、まとめになります。

・世界初の蓄電池は1746年にオランダのミュッセンブルークが発明した「ライデン瓶」
・日本では1895年に島津製作所の2代目島津源蔵が初めて蓄電池の試作に成功
・現在はリチウムイオン電池が主流であり、1兆円を超える市場規模を形成している

電池や蓄電池は長い時間をかけて進化を繰り返し、現在ではリチウムイオン電池が主流となっています。今後、リチウムイオン電池に代わる新しい蓄電池が開発されれば、家庭用蓄電池の性能や価格に大きな影響を及ぼすことになるでしょう。これから紡がれる蓄電池の歴史が楽しみです。

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蓄電池コンシェルジュ代表
根上 幸久

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